須田剋太

Suda Kokuta

Suda Kokuta
須田剋太

須田剋太(1906年5月1日-1990年7月14日)洋画家。道元禅の世界を極め、独自の眼力と精神力、そして奔放で力強いタッチで数多くの作品を1990年84歳まで勢力的に描き続けました。
没後の今もなお色褪せる事のない存在感で多くの人に愛され、見る人の心に感動を覚えて止みません。
  • 「酉」グワッシュ6号

  • 「上高地」油彩20号

  • 「風船と東大寺椿」

  • 「富士」グワッシュ6号

  • 「冬浅間」油彩20号

  • 「崎津教会」グワッシュ6号

  • 「造花」グワッシュ6号

  • 「ジャンク」グワッシュ8号

  • 「太陽」書95.6×64.2

  • 「蟻」グワッシュ3号

  • 「河童天国」グワッシュ色紙

  • 「京劇」グワッシュ3号

  • 「石手寺」グワッシュ6号

  • 「抽象」グワッシュ6号2

  • 「抽象」グワッシュ6号3

  • 「抽象」

  • 「抽象」グワッシュ6号4

  • 「抽象」グワッシュ20号

  • 「三月堂」油彩12号

  • 「東大寺風景」油彩12号

  • 「文楽お三輪」油彩10号

  • 「富士山」

  • 「椿花」

須田剋太 -略歴-
Biography

1906年
0歳
埼玉県吹上町で須田代五郎の三男として生まれる
1927年
21歳
埼玉県熊谷中学校卒業。その後、浦和市に滞在し独学で絵を学ぶ
1936年
30歳
昭和11年文展で「休憩時間」が初入選
1939年
33歳
第3回新文展で「読書する男」が特選
1945年
39歳
奈良・新薬師寺に奇寓中知り合った岡田静と結婚
1947年
41歳
第3回日展でピンクのターバン」が特選
1949年
43歳
国画会会員になる。抽象画の長谷川三郎氏と出会い、氏の理論に共鳴し、以後主に抽象画を制作
1954年
48歳
第1回現代日本美術館に出品
1955年
49歳
東京ビエンナーレ国際美術展に出品
1957年
51歳
ブラジル・第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品
1959年
53歳
米・ヒューストン美術館に出品
1960年
54歳
伊・ピッツバーグ・カーネギ展に出品
1962年
56歳
西宮市文化賞を受賞
1971年
65歳
週刊朝日「街道をゆく」の連載始まる。挿絵を担当。兵庫県文化賞を受賞
1983年
77歳
週刊朝日「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞
1984年
78歳
自選グワッシュ画集「私の曼荼羅-須田剋太の世界-」論集「私の造形、現代美術」出版
1988年
82歳
第17回フジサンケイグループ広告大賞を受賞。第42回神戸新聞平和賞を受賞
1989年
83歳
埼玉県立近代美術館で「須田剋太作品(抽象)展」開催。絵画293点を寄贈
1990年
84歳
長野県飯田市美術博物館で「須田剋太の世界」~抽象画と書・陶~開催。絵画、書、陶など459点を寄贈
その作品会場で「私の抽象について」の講演を行う
7月14日神戸市内の病院で死去
…没後も根強い人気により全国各地で毎年のように展覧会が開催されている